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笛吹峠古戦場

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武蔵野合戦は、関東を舞台とした足利対新田の戦いである。
時間、場所、人物の流れが難しい。
最も上手にまとめた「中世武蔵人物列伝」に従った。

文和元年(1352)閏2月6日、新田義宗が宗良親王を奉じて越後で挙兵。
同15日、新田義興も上野で挙兵。
同17日、鎌倉にいた足利尊氏は神奈川に逃れ、同18日、谷口(稲城市)へ移動。
同18日、新田義宗が鎌倉に入る。
同20日、人見原(府中市)、金井原(小金井市)で合戦。新田軍が敗れ、新田義興らは鎌倉に逃れた。
同28日、小手指原で合戦。新田軍が敗れ、さらに入間河原、高麗原でも敗退。新田義宗らは笛吹峠で最後の戦いをして越後に逃れた。

足利尊氏と南朝方の征夷大将軍宗良親王、新田義宗の戦いを総称して武蔵野合戦という。
文和元年(1352)閏2月18日、新田義宗、義興は、上野、武蔵を平定し鎌倉入りを果たした。足利尊氏は武蔵狩野川に敗走した。
同年閏2月20日、新田義興は武蔵関戸に出陣し、足利尊氏は武蔵矢口に出陣した。
両軍は人見原、金井原で戦い義興が敗れた。
同年閏2月28日、宗良親王、新田義興は足利尊氏と小手指原、入間河原、高麗原において戦い敗れた。

笛吹峠は埼玉県比企郡鳩山町と嵐山町の境にある峠である。
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鎌倉街道上道が通っていた。

峠は標高100mにも満たない低い場所にあり、史蹟笛吹峠の石碑が建つ。
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案内板も設置されている。
笛吹峠
笛吹峠は、嵐山町と鳩山村の境にある峠である。峠を起点として、坂東10番札所の岩殿観音正法寺から同9番札所の慈光寺へ続く東西の道は、巡礼街道と呼ばれ、この峠を南北に貫く道が旧鎌倉街道で、かつて、数多くの武士団が往来した所であった。
正平7年(1352年)閏2月、新田義貞の三男、義宗が宗良親王を奉じて武蔵野の小手指が原で足利尊氏戦ったが、最終的に結末がついたのがこの峠の地であった。
新田義宗等は越後に落ちて行き、足利尊氏はこれ以後関東を完全に制圧していった。
笛吹峠の名称については、この敗退の陣営で、折からの月明りに宗良親王が笛を吹かれたことから命名されたという伝承がある。
なお、この付近は、遠く奈良時代に窯業の中心として栄え、武蔵国国分寺瓦の大部分がこの付近で焼かれ、その古窯跡が虫草山をはじめ須江・大橋・泉井などの山間部に多く見られる。
笛吹峠から、はるか北方に上州の山々、西方に秩父連山、南方に広い関東平野が遠望され、風光明媚な歴史の地である。
埼玉県

笛吹峠が違う場所という説もあるが、武蔵野合戦の一連の流れを考えればこの地が至当だろう。
地図はこちら
by t_samanosuke | 2015-02-01 07:00 | 古戦場【比企郡】

埼玉県【比企郡・入間郡】のヲタク向け城跡探訪記等々


by 田中 正純