正山(塩山)【嵐山町鎌形】
2013年 01月 01日
比企郡嵐山町にある標高164.9mの正山。塩山ともいう。
ここは小倉城自然地形の外郭線の南東隅にあたる。
北西に延びる尾根道は、ときがわ町との境界となる。
登山道は大半が南側に集中している。山頂から南に向かって放射状に数本の道が確認できる。ただし、どの登山道も発見が難しい。
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一番簡単な方法は、山頂の北西、国土地理院の地図の境界に沿って登る。ここを登れば正山の存在意義を改めて確認することができる。
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「有峰書店 鎌倉街道Ⅰ 歴史編」には次のように記されている。
坂上田村麻呂の伝説は埼玉県比企郡に残っている。その一つは嵐山町の塩山伝説である。この山は標高わずかに220mの低山だが、山容が秀れていたので、田村将軍は宇佐八幡宮を勧請し、戦勝を祈願したという。今日の鎌形八幡創始伝説である。
山容が見事なのは嵐山町鎌形からではない。ときがわ町(旧玉川村)小倉の集落からの山容が見事である。このことは、坂上田村麻呂が南から訪問したのではなく、北の東山道から訪問したことを暗示している。
山頂には平場がある。
北西に延びる尾根道にも平場が形成されている。
これが八幡宮の跡なのか、小倉城自然地形の外郭線の跡なのか、判断が難しい。
この平場は、北西(小倉城方面)から登ると岩場が待ち受けている。梯子でもあったのだろうか。
この山に小倉城からの物見、または狼煙台が無いとしたら、小倉城の南の守りが失われる。
小倉の集落に寄せ手の侵入を許したと仮定する。小倉集落から小倉城五の郭下にある井戸ノ沢(水の手)までは、徒歩数分。集落から水の手までの防御施設は城下の屋敷群のみである。
小倉の集落の陥落は、小倉城陥落を意味する。
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