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須賀谷原古戦場

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長享年中の大乱は、長享元年(1487)から永正2年(1505)にわたる、鉢形城を拠点とする山内上杉氏と川越城を拠点とする扇谷上杉氏の、関東管領の覇権を争う戦いであった。

長享2年(1488)2月の相模実蒔原合戦、6月の須賀谷原合戦、11月の高見原合戦、明応3年(1494)10月の赤浜河原合戦等があった。

梅花無尽蔵には、長享2年の須賀谷原合戦に関する記述がある。
6月18日、須賀谷有両上杉戦死者七百余矣、馬亦数百匹
8月17日、入須賀谷之北平沢山、問太田源六資康之軍営於明王堂畔
9月25日、太田源六、於平沢寺鎮守白山廟、詩歌会、與

須賀谷原古戦場は推定の域を出ないが、須賀谷原遺跡として比企郡嵐山町菅谷にある。
高台にあり宅地化が進んではいるが、菅谷城、平沢寺方面を望むことができる。
また、発掘された五輪塔が丁寧に祭られている。
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「埼玉の文化財マップ」によれば、「かつて物見塚と呼ばれた円墳があったが現存せず」という。

「比企の中世・再発見」によれば、次のように記されている。
(略)鎌倉時代の道路とともに戦国時代の塚2基と50基の墓壙群が発見されています。出土した五輪塔や土器から15世紀後半から16世紀前半にかけての遺跡であることがわかりました。土壙墓群の墓域であった所を一度片づけたうえで塚を構築し、塚の周りに新たに墓を作っていました。遺跡の年代が長享2年(1488)の須賀谷原の合戦の時期と重なり、遺跡の位置からこの合戦との関連が推測できる遺跡です。(以下略)

長享2年6月18日の激戦は、この付近で行われた合戦だったのであろうか。
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by t_samanosuke | 2015-03-01 07:00 | 古戦場【比企郡】

埼玉県【比企郡・入間郡】のヲタク向け城跡探訪記等々


by 田中 正純