堀ノ内館
2016年 03月 15日
新編武蔵風土記稿、玉川郷の壘跡の項には次のように記されている。(意訳)
壘跡 小名堀ノ内にあり、四方が四十間ばかりの所であり、今は畑となっているが、土塁の形が四方にある。ここは龍福寺を開祖した藤原盛吉の居跡という。この人物は、俗名を左京と呼んだと言い伝えるのみで年代等すべて詳細が不明である。この壘跡から古銭等を掘り出すことが時々あるという。
埼玉県立嵐山史跡の博物館発行「改訂 歩いて廻る比企の中世再発見」には次のように記されている。
(略)地籍図や発掘調査から、一町四方の方形館が存在したことが判明しています。
同じく「改訂 歩いて廻る比企の中世再発見」の龍福寺にも記載がある。
中世玉川地区の中心地にあり、館・寺・神社がまとまりを持って存在しています。近年の研究では、山を背にして東面する阿弥陀堂と、園池からなる浄土庭園形式をとっていた可能性が強いと言われています。
館である堀ノ内館、寺である龍福寺、神社である春日神社、興味は尽きない。
館跡は痕跡があるものの、遺構は判別できなかった。
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by t_samanosuke
| 2016-03-15 07:00
| 城館【ときがわ町】