源範頼館
2016年 06月 01日
比企郡(旧横見郡)吉見町、御所の地に、源範頼ゆかりの遺跡が残る。
息障院である。
新編武蔵風土記稿、御所村の総説には次のように記されている。(意訳)
(略)村内岩殿山の縁起によれば、古くは源範頼以来、子孫が五代居住している。そのために地元の人は吉見の御所と呼び、村名となっている。(略)
新編武蔵風土記稿、御所村の居所跡の項には次のように記されている。(意訳)
伝わるところによれば、蒲冠者源範頼の城跡である。岩殿観音縁起に、源範頼が幼少の頃、平治の乱により没落し、岩殿山に移り当地で成長した。兄頼朝が志を得て、後に範頼が当所を領して、この地に居住したという。
東鑑には、(範頼の)住所が記されていないが、治承5年閏2月志田三郎義廣が鎌倉に謀反を起こしたとき、小山朝政と下野国登々呂木沢のあたりで戦い、下川辺行平等は古我高野等の渡しを固めた。範頼も着陣し、小山朝政の軍勢に加わったという。(略)当所から高野までは遠くなく、当時範頼は当所に住んでいたのではないか。(以下略)
ただし、この記述だけでは、坂東11番札所の岩殿山吉見観音のことなのか、息障院のことなのか、判断に困る。
息障院の境内周囲には空堀がある。
南側は整備されている。
西側、北側も良好な保存状態である。
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by t_samanosuke
| 2016-06-01 07:00
| 城館【吉見町】