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木ノ城(木乃城)

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新編武蔵風土記稿には記されていない謎の屋敷である。

人物往来社、日本城郭全集4巻、古寺城の項には次のように記されている。
古寺城 比企郡小川町古寺鶴の舞
小川駅より皆谷行バスに乗り大河原公民館前下車、西南へ約二キロメートルの山頂にある山砦で、山頂は三畝(三アール)ばかりの平坦地となっており、東へ下りると鏡岩という大きな岩があって、その根元に水をたたえた沼がある。
村人の話に、城主の姫がいつも自分の美しい姿を映し化粧したので、鏡岩の名が伝えられたという。
「青木家家譜」によれば、青山山城守氏久の一門、松本喜太七忠奥の守った城砦で、慈光寺の固めとして重要な地におかれたのであろう。天文十三年(一五四四)四月二十九日、北条氏康のために落城した青山城とともに落ちた。
また東北に「木ノ城」とよばれる吉田勇次氏の家があり、古寺砦より腰越城への連絡には必ずこの家に立ち寄り「焚火」を貰ったという。その功により「木ノ城」の呼称を与えられたと伝える。「木」は「火」の転訛したものだといわれる。

木ノ城を探すために、相当の時間がかかると覚悟していたが、早く発見できた。屋号で名乗っていた。
東王寺の東側にある。
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相当な規模の屋敷構えだったことは容易に想像できる。複数の平場があるが、当時の屋敷地だったのだろうか。
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後世の築造であろうが石垣も残る。
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背後は山を控えている。その山を越えれば腰越城への直通道路となるが、道が存在したか不明である。

目の前は慈光道を監視できる絶好の立地条件である。慈光裏街道の監視であれば、古寺砦より木ノ城で十分ではないかと思う。
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現当主様は、屋号として「木乃城」と名乗っている。親が屋号を忘れないように線香立てを作ってくれたという。
人物往来社、日本城郭全集4巻のコピーをお渡しして、末長く伝えていただきたいとお願いした。
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地図はこちら

by t_samanosuke | 2015-09-01 07:00 | 城館【小川町】

埼玉県【比企郡・入間郡】のヲタク向け城跡探訪記等々


by 田中 正純